並木道の木陰からもれる太陽の光が、歩くたびにキラキラと輝く。
並んで歩く、祥行さんと私の目の前には、小さな女の子と父親が手を繋いで。
そのキラキラの中を、笑いながら歩いている。
暑くないか、と父親が言って、女の子が首を振って。
でも、父親は右肩のトートバックから薄い黄色の帽子を取り出して、女の子にかぶせる。
すると女の子が、今度は、イヤイヤ、と小さく首を振ったのが見える。
イヤ、あつい。
その幼い発音は夏の並木道に響いて、私の耳に届いた。
多分、祥行さんにも。
「…小さい頃、私も帽子嫌いだったな」
言えば、隣の気配が、空気を変える。
今まで、何かに堪えていたように動かなかった腕が。
現実の温度に気づいたように、ぶれたのを感じる。
「へえ、そうなんだ」
「日差しがあたらないのはいいんだけど、汗で髪の毛がしっとりするのが嫌で」
「なるほどね〜」
「私もあんな風に、よく、かぶせてもらった帽子に首を振ってた気がします」
祥行さんは、はは、と笑って見せた。
「オレはよく、体育のとき、紅白帽をウルトラマンにしてたなぁ」なんて、軽口を言ってみせながら。
「いくつくらいかなぁ、あの女の子」
「う〜ん、いくつくらいだろうね」
「幼稚園はまだ、っていう感じですよね」
「そのくらいかな」
「3歳くらいに見えます」
「3歳か、小さいもんなあ」
「そうですね」
木漏れ日に、目を細めながら。
祥行さんを見上げれば、まるであつらえたような、笑顔。
その不自然さに、恐る恐る、触れてみようとしたら。
「そういえば、」なんて、あっさりと交わされてしまって、私はなんだか不安になる。
「そういえばさ、ここの公園、あっちのほうに池があるらしいんだ」
私はとっても、不安になる。
【02 髪を撫でて】
ずっと前から、それとなく感じていた。
それは例えば、スーパーで買い物をする女の人に向ける、少し切なげな目線、とか。
夕暮れ時の通学路で、少し低く変化した声のトーンだとか、公園の前を通り抜けたときに、堅く握られたこぶし、とか。
それは、憎む、とまではいかなくとも。
もしかしたら祥行さんは、親と子、という生き物が、苦手なんじゃないかってこと、で。
祥行は、親に恵まれなかったんだ、と。
いつか桐山さんから聞いたことも、そんなことを考えた要因なのかもしれないけれど。
でも、今。
日曜日の公園を歩く、目の前の小さな女の子と、祥行さんよりずっと背丈の小さい父親に、視線を落としながら。
祥行さんはまるで話をそらすみたいに、私に笑顔を見せたから。
やっぱり、そうなんじゃないかと、思ってしまったんだ。
祥行さんは、親と子、という関係が、怖いんじゃないか、って。
「池のほう、行ってみようか」
「…そう、ですね」
「ちょっとは涼しいといいなあ」
どう切り出せばいいんだろう、と、悩んでいる。
もう、数週間になるだろうか。
もっと早い段階で、言おうと思っていた。
例えば、生理が来ないんです、と。
でも、もし、祥行さんが本当に、親と子が苦手だとしたら。
どんな表情が、どんな言葉が返されるのかが不安で、何も言えなかった。
だから、とりあえず、決まったことじゃないんだし、と。
いつか来るだろうと待ってみようと思った。
でも、やっぱりいつまで待っても、気配がなくて。
薬局で検査薬を買ったのが、おととい。
恥らうような歳でもないのに、もう、結婚だってしているのに、どうしても怖くて、薫に付いてきてもらおうかと迷ったけど。
誰かに相談すれば、ことの深刻さがぐっと自分に押しかかってくる気がして、
トイレットペーパーとか、洗剤とか、歯ブラシとかと一緒に、まるで日常のものみたいにして買ってきた。
大丈夫だったけれど、部屋に帰って荷物を整理して、最後にそれを手にとったとき。
結局事は重大なんだって、自覚するほかなかったのは、事実。
この日だって、言おうと思った。
これから検査してみるから、と。
でも、そんな日に限って、祥行さんは酔って帰ってきて。
ああ、今じゃなくてもいいか、今日じゃなくてもいいかって。
検査してみて、陽性だったら、言えばいいじゃない、って。
そう、思って、一日が過ぎた。
だから昨日、一人で検査した。
その結果に、息が、頭が、自分の体の温度が。
とまった、気がした。
陽性だった。
言わなきゃいけないってことは、もう、確実で。
黙っていていいことじゃない。
このまま、何もなかったみたいに、過ごしていけるはずがない。
小さいけれど、まだその命を宿した私の体にさえ、あなたを感じられるものなんて、何一つないけれど。
いる、ここに。
あなたが、いる。
なかったことになんて、ならない。しちゃいけない。したくない。
だって、こんなにも愛おしい。
口にさえ出したことはないけれど、もうずっと、密かに望んでいた。
おなかの中の、“あなた”、の存在。
でも、もし、これが独りよがりな望みだったとしたら…?
私が、祥行さんが、親になって。
子、であるあなたが、生まれてくる、ということ。
隣を歩くこの人が、本当にそのことを恐れているのだったとしたら、私はどうしたらいいんだろう。
私は、どうしたら…?
ゆっくりと歩いていくと、キラキラはやがて途切れて。
祥行さんが「そういえば」、と話した、池に着いた。
目の前の親子も、まだ視界の中にいて。
池を囲む柵の近く、手を繋いで、立っている。
「…ねえ、祥行さん」
「うん?」
「……あの」
「うん」
「………あの」
何気なく言おうとしたら、言葉が詰まった。
私たちは今までどうやって、会話をしていたんだろう、と思う。
本当は、検査薬を買うときだって、思っていた。
私はいつも、どんな風にカゴを持ってた?どんな風にレジに並んでた?
「よしゆき、さん」
私はどんな風に、名前を呼んでいただろう?
どんな声で、どんな顔で…?
おなかにいるあなた、は。
不自然な私の声を、やっぱり聞いているんだろうか。
こんな不安に、気づいていないといいんだけれど。
震えないように、と、きゅっと唇を噛んでみた。
ついでに、こぶしも握る。
「明里ちゃん、どうしたの」
心配そうにかがめられた、視線とぶつかった。
そらしてしまったら、何かが終わる気がして。
それだけは、堪えた。
「……3年後、に。あんな風にしている自分を、想像したり、します…か?」
私の言葉に、祥行さんは目をまあるくして。
そして、少し顔を右に傾けて、大きな手で首をさすった。
眉は、中心に寄っている。
「うーん、どうだろう。想像するような、しないような」
「………」
「想像が及ばない、って感じかな」
困ったような、笑顔のまま。
祥行さんは、私から池の前の親子に視線を移した。
私もそれにつられるみたいに、そっちを見た。
「明里、ちゃん…は?」
「え?」
「子ども、欲しいなーって思ったり、する?」
「……」
「想像したり、する?」
視界の親子が、並んでベンチに腰をおろす。
私はなぜか、その二つの背中に、無性に泣きたい気分になった。
ねえ、祥行さん。
願望や、想像じゃないよ。
そんな曖昧な感情より、もっと、もっと近く、表面に。
私の中では、もう、そんなところまで来てしまった。
そしてこれから、あなた、も。
私が事実として、あなたに、近づけなければいけないんだよ。
もう、何気ないふりなんて、できそうになかったから。
せめて涙だけはこぼさないように、と、空を仰いでみた。
「祥行さん、あのね、」
「うん?」
「…ここ、に。私の中、に、もう1つ、命があるって言ったら…喜んで、くれますか?」
仰いだ空には、ふわふわの雲が、気持ちよさそうに漂っていて。
今日は風もなくて、とても穏やかよ、と。
頭の隅であの子に話しかけてみた。
祥行さんの表情は、確かめるのが怖くて。
見ることが、できなかった。
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