「祥行さんのバカ!」
そう言って彼女は。
なぜか浴室の中に閉じこもってしまった。
【色とりどりの世界・2】
「えー…っと…」
何が起こったのか、理解できない。
『…ごめん、ご飯食っちゃったんだ。ジムでお祝い事があってさ』
オレのその言葉を聞いた彼女は。
真っ赤な顔をして寝室に走っていったかと思うと、タオルを握りしめて浴室に閉じこもってしまった。
「オレ、怒らせたー…んだよな」
まだ少し酔いの残る頭を軽く振って、状況を飲み込もうと努力する。
確かに、連絡もなしに夕飯食って来ちゃったのは、まずかったんだけど…。
でも、いつもこんなに怒られてたっけ?
「とりあえず、中に入りますかね…」
オレは玄関を背に、リビングへのドアを開ける。
リビングは、明りはついているものの、静まりかえっていて。
時計の音だけがやけに耳に響く。
そのがらんとしたリビングを見渡して、彼女の怒りの原因を探る。
ほどなくして―オレはダイニングに並んだ、彼女の料理を発見する。
「えっ…コレ…」
目の前には、大きめのテーブルにやっと収まっているたくさんの料理。
ぱっと見ても分かるほど手が込んでいて、どれだけの時間と手間がかかっているのか、想像するだけで気が遠くなる。
コレ…全部明里ちゃんが?
明里ちゃんが…作ったんだよね…?
オレは次第に、自分のしたことの大きさに気づき始める。
―絶対に、今日は何かの記念日だ。
オレはカレンダーを確認する。
オレの誕生日ではない。
明里ちゃんの誕生日は…まさか忘れるわけないし。
じゃあ、オレ達が一緒に暮らし始めた日…でもないよな。
付き合い始めた日も、初めてキスした日でも、初めて抱いた日でもない。
必死に記憶をたどって思い出そうとするけど、情けないことに全く分からない。
けれど、彼女がオレの好きな料理を作って待ってるということは、絶対に何かある日。
多分、オレのなにかの記念日。
携帯のスケジュールや手帳をめくってみるけれど、やっぱりとっかかりすらつかめなかった。
「どうしよ…」
とうとうオレは途方に暮れて。
彼女のすっかり冷えてしまった料理を見ながら、ため息を吐いた。
できることなら、ちゃんと、分かってから謝りたいけど―その場しのぎじゃなくて。
けれど、このままじゃらちがあかないことは目に見えていた。
とりあえず、謝ろう。
オレは覚悟を決めて、浴室に向かう。
―コンコン―
意を決して浴室の扉をノックする。
「明里ちゃん?ごめん、今日、すごいご飯作っててくれたんだね」
返事はない。
オレの声が、薄い扉を通じて浴室に響き渡る。
「…今日ね、オレの担当してた子が、繰り上がりで大きい大会に出られるって、急に連絡が入って」
……。
「おやっさんとかがさ、すっごい喜んじゃって。いきなり宴会だーってことになっちゃって」
……。
「…あ〜、明里ちゃん?」
「…聞いてます」
やっと発せられた彼女の声からは、表情を見なくとも、かなり怒っていることがはっきりと分かる。
「ほんっとにゴメン!」
見えないのに、オレは手を顔の前に合わせ、きつく目を閉じた。
「…それで」
「えっ?」
「それで、今日が何の日なのか、分かってるんですか?」
ちゃぷん、と湯船のお湯の音がして、彼女が核心に迫る。
…コレを言ったら、もっと怒るんだろうな…。
そんな思いが頭をかすめたけれど、オレは意を決して返事をする。
「…ゴメン」
その時だった。
目の前の扉が勢いよく開いて。
涙を一杯にためた彼女の顔が見えたかと思うと、声とともに再び荒い音を立てて、ドアが閉まった。
「祥行さんなんて、だいっきらい!!」
「あ〜…どうしよ…」
リビングに戻って頭を抱える。
彼女の泣き顔を思うと、胸がきしむ。
彼女の考えそうなこと。
彼女が大切にしていること。
色々考えてみるけど、どうしても今日の日付に結びつかない。
最近、明里ちゃんは何か言ってなかったっけ?
何か、いつもと違うことをしていなかった…?
―考えてみて、オレは最近ちゃんと明里ちゃんと話をしていないことに気づく。
彼女のお気に入りのクッションの乗ったソファに身を沈め、オレはため息を吐く。
静かな室内に、その音は思ったよりも響く。
「この部屋、意外に広いなぁ…」
オレがここにいるときは、必ず近くに明里ちゃんがいて。
台所で家事をしていたり、オレの横でテレビを見ていたり。
たまには、一緒にうたた寝をしたり。
一人にならないオレは、この部屋の寂しさに気づくことなく過ごしていたんだ。
最近遅く返ってくるオレを、明里ちゃんはどんな気持ちで待っていたんだろう?
こんなに静かな、殺風景な部屋で、いつ帰ってくるか分からないオレを待つのは、どんなに辛かっただろう?
手元にあった彼女の小振りなクッションを手に取ると、膝をかかえて小さくなる明里ちゃんの姿が目に浮かんで。
オレは胸が締め付けられるのを感じる。
「…なーにやってんだろうね…」
自分に呆れながら、立ち上がる。
ダイニングの料理にもう一度目をやると、すっかりかさかさになってしまった中華まんが目に入る。
一口かじってみると……やっぱり、冷めて乾燥していて。
料理も――明里ちゃんの心も。
オレが冷やしちゃったんだなって、そんなことを考えながら椅子に腰をおろす。
一緒に住もうって言ったとき。
オレは心に誓ったんだ。
明里ちゃんを、誰よりも幸せにするって。
悲しい思いなんて、絶対にさせないんだって。
オレが辛いときに、ずっと寄り添ってくれた明里ちゃんのこと、絶対に大切にするんだって。
なのに、どうして記念日ひとつ思い出せない?
この料理は、今日がどれだけ大切な日かを物語っているのに。
なんでこんなに明里ちゃんが大事にしていた日を、思い出せないんだ。
「くそっ」
拳を堅く握って、頭を抱える。
―思い出せ――
髪の毛を握ったときだった。
肘に、なにかかさっとした感触のモノが触れる。
…なんだ?
顔を少し上げてそこを見ると、綺麗なライトブルーの紙が置かれてる。
オレはそれを手に取り、そっと開く。
すると、明里ちゃんの少しクセのある字が目に飛び込んで、オレは急いで読み進める。
祥行さんへ
祥行さん、あなたの目が見えるようになって、もう2年。
なんだかあっという間で、辛かったついこの間を思い出すと、まだ夢みたい。
でも、毎日走り回っている祥行さんをみると、よかったなぁって実感します。
色とりどりの世界を手に入れたあなたは、どんどん遠くなっていくようで少し寂しいけど。
これからも、側にいてもいいですか?
作上明里
そうか、今日は…今日はオレの目が、もう一度見えるようになった日。
真っ暗な世界が、終わった日だ。
オレは丁寧にその手紙をたたみ、急いで時計に目をやる。
―11時20分。
今日はまだ終わっていない。
電話の脇にある引き出しをひっくり返して浴室の鍵を見つけると、オレは急いで明里ちゃんの元へ向かった。
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