ことの次第をたどってみても、いつだってたどり着くことができない、俺たちの“きっかけ”。
出会ったときからもう、当たり前のように俺は振り回される側で、あいつは振り回す側。
誰が好きこのんで、あんな奴、そう思うのに。
気がついたときにはもう、コイビトだったんだから、好きこのむかどうか、そんなことを悠長に考えている暇はなかったんだ。
【敗因は、なんだっけ】
ぱちん、ぱちん、と。
不規則に部屋に響く、爪切りの音。
それさえなければ今ここはすげえ静かなわけであって、ってことは、台本の暗記なんかにもって来いの空間なわけであって。
つまり、分かっちゃいねえ。
目の前でさっきから爪を切ってるこいつは、いつも何かしらの音をかけてる俺の部屋がどうして静かなのかなんて、
考えちゃいねえし、分かっちゃいねえ、ってわけだ。
だいたい、30分も切り続けるような爪が、どこにあんだよ?
おまえの指は何本だ。腹立つ、マジで。
「えんじゅくーん、ドライヤー貸して」
「…は?」
「ドライヤー。はーやーくー」
俺を急かす小憎たらしいそいつと、自分の手元、視線を何度か往復させる。
俺は今、ドラマの台本と睨めっこ。
言ったよな?確か、一週間とちょっと前。
初めてドラマで主役が取れたって俺はこいつに報告したはずだ。
そしたら、こいつも言ったよな?
『良かったじゃん!頑張って、私、邪魔したりしないから』
こぶしを握って、肩の両脇で、ぐっ、って。
そんなわざとらしいガッツポーズに、ちょっと首を傾げたくなったのは、まあ置いておいて。
言ったんだよ、確かに。“邪魔しない”、って。
忘れてんのかな、それともそもそも覚えてねえとか?
…あり得る、すっげーあり得る。
言った数秒後にコロッと忘れるなんて、こいつの専売特許みたいなもんじゃねえか。
「えーんーじゅーくーん!はやく!ドライヤー!!!」
「だー、もう、わーかったっての。ちょい待ってろ。ってか、その前に芸名で呼ぶな」
俺のベッドの上、勝手に持ち込んだオレンジ色のクッションを、ボカボカと振り回すその姿に。
こっそりため息をついて、台本を置く。
腹立つ、ムカツク。マジあり得ねえ。
今日は台本覚えっからって言ったのに、学校帰り、なんの連絡もなしに俺の部屋に押しかけてきやがって。
することあるっつってんのに居座るし、なんだか爪切り始まるし、挙句の果てにドライヤー、だ?
さっきから、俺の都合なんかお構いなしに、どうでもいいような話題振ってくるし、
なんだよこいつ、ホントどこの暴君だよ。やりたい放題やってんじゃねえよ。
言いたいことは腐るほどある、でも。
黙ってドアノブに手をかけたのは、言わないからじゃない。
恐ろしくて言えない、から。
ウンザリしながら部屋を一歩出たところで、中から声が飛んできた。
「あ、くるくるドライヤーじゃダメだよ!」と。
振り返れば、満面の笑み。
この笑顔に、言いたいことの一つも言ってみろ。
どうなるかは恐ろしすぎるからあえて口に出したくねえけど、あれだぞ、確実に。
やっとのことで勝ち取った、俺のドラマ主役の座は、保障されない。
いつだったか、うるさい、と一言、あいつに言ったとき。
俺は商売道具の顔に、見事な引っかき傷を残されたんだから。
1階に降りて、俺のドライヤーを洗面台から取る。
ついでにリビングに寄って、目に入った食い物という食い物をかき集めた。
あいつがドライヤーで何すんのかは分かんねえけど、
とにかくそれが終わったら、次は腹減っただなんだって騒ぐに決まってる。
何回も自分ちの階段を往復させられるなんてたまったもんじゃねえ。
この際だ、あいつが欲しそうなもんは、片っ端から一気に持ってっちまうぞ。
頑張れ俺!
左脇にドライヤー、右脇に2リットルペットボトルを挟んで、両手にはチョコとじゃがりこと、ミントガム。
それでも持ちきれない、目の前の漫画やらCDやらDVDやらはどうすっかな。
足で――いやいや、無理、絶対無理。いくら俺でも無理。
きょろきょろとあたりを見渡すと、でっかい紙袋が目に入った。
確か昨日、お袋がクリーニング屋からもらってきたやつ。
ちょっと拝借しますよ、と、真っ白のそれに、バサバサと物を放り込んでいく。
食い物とドライヤーを一緒にするな?
いーんだよこの際、それに、あいつはそういう細かいことは気にしない奴だ。
欲しいもんがないと大騒ぎするけど、とりあえずそれっぽいもんがあれば、納得する、そういう奴。
待たせるとまた厄介なことになるな、と、でっかい紙袋を抱えて階段を小走りで駆け上がる。
この前、妹に言われたっけ。
学校の階段駆け上がる人は見たことあるけど、自分ちで走る人はお兄ちゃんくらいだ、って。
妙に納得しちまうよな、だって。アイツさえこなけりゃ、自宅で走る用事なんて思いつかねえっての。
なんでこんなに振り回されなきゃいけねえんだよ、と、階段の最後の一段、少し力んで足を上げたら。
がつっ、と。音を立ててぶつかった、俺の足の小指。
「いいっ!…ってえー!」
最悪、マジ、本当に最悪。
17歳、ちょっと売れてきた期待の若手俳優、そしてゆくゆくはハリウッド、なんて野望を抱いてる俺が、何が悲しくて。
こんなでっかい、いかにも「これからの季節に大活躍の真冬のコート取って来ましたよ!」みたいな紙袋に、
菓子やら漫画やらどうでもいいもんごちゃごちゃと入れて、自宅の階段駆け上がらなきゃいけねえの?
足の小指ぶつけて、痛がってる場合じゃねえんだっつの。
もっとすべきことが、わんさかあんだっての!
苛立ちと、妙な空虚感と、そして何より痛みに、紙袋を放って、
足を押さえてしゃがみこんで、その衝撃が過ぎるのを待っていると。
がちゃり、と目の前の扉が開いた。
「えんじゅ何してんの?」
「……おまえがそれを言うか」
「え?」
「は?」
「うん?」
痛みをしのぐ、俺の隣。
紙袋の中に、目ざとくドライヤーを見つけた彼女は。
もちろん俺、そっちのけ。
「まあいいや、ドライヤー、借りるね!」
ああはいはい、そうですか。
どうしたの、とか大丈夫、とか、そんなことまでは期待しねえけど、
せめてドライヤーを手にする前にありがとうとかなんとか言えねえもんですかね。
ばたん、としまったドアがまたがちゃりと開いたと思ったら、「ついでに飲み物もらうね!」って、
俺の存在はどこまで小さいものなんですかね!
なんか、どっと疲れた。
でもこんな疲労感いつものことで、なんだかそう考えたらもっと疲れた。
立ち上がって、自室に入る。
引きずってきた紙袋を部屋の隅っこに滑らせて、アイツの隣、ベットの上に身を投げた。
ぶおおお、と、さっきよりも更に音量を上げた、君発信の騒音。
台本なんてもう、覚える気もしねえ。
…なんでこんな奴。
我儘で、凶暴で、自分中心で、ありがとうも言えなくて。
あり得ねえくらい性格曲がってんのに、人としてどうなのかってくらい、めちゃくちゃなのに、なんで。
なんでこんな奴、好きなんだろう。
悔しさに、突っ伏していた布団から、ちらり、と目線を上げる。
ドライヤーを持つは、鼻歌交じり、ご機嫌の表情。
何をしているのかと風の向かう先を見れば、綺麗に染められたフレンチネイル、の指先。
その笑顔と、マニキュアに。
俺の鼓動は途端に早くなって、部屋の隅の紙袋なんて目に入らなくなっちまうんだから、俺はきっとどうかしてる。
思わず起き上がって、くっつけた、唇に。
はとぼけた顔で、2回、まばたきをして。
にへっ、と笑った。
「わー、ちゅーした」
「…うるせえっつの」
ことの次第をたどってみても、いつだってたどり着くことができない、俺たちの“きっかけ”。
出会ったときからもう、当たり前のように俺は振り回される側で、アイツは振り回す側。
誰が好き好んで、あんな奴、そう思うのに。
気がついたときにはもう、コイビトだったんだから、好き好むかどうか、そんなことを悠長に考えている暇はなかったんだ。
めちゃくちゃな、に惚れた。
その敗因は、なんだっけ?
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