どうやって、コイにおちたんやろ。
どうして、君なんやろ。

そんなん分からへん。
分からへんけど、ただ、ひたすらに。とても、穏やかに。
そう、例えるなら、ちゃんがいつもオレの隣の席に座っていることのように当たり前で、
でも実はそれが、くじびきという奇跡のような偶然で決められたこと、みたいに。

理屈じゃない。
でも、気まぐれでもない。



頭じゃなくて、気持ちが君を追いかける。






【名前を書く】






一番前の窓、端に手をかけて、ぐっと押す。
動く気配のないそれに、こめていた力を緩め、代わりに視線を外に向けた。
空の色は、かろうじて青。
でも、落ち葉を動かす風は見るからに冷たく、それは夕方の気配を含ませていた。
じきにこの青空も、紅く染まるんだろう。

「姫条くん」
「うん?」

呼ばれて、振り返る。
一番後ろ、いつもの席に座る隣の彼女は、オレンジのシャープペンを片手に日誌から顔を上げて、
そして、笑う。

「ありがとう」
「何が?」
「戸締り。ごめんね、日誌もうちょっとだから」
「そんなん。日誌の方が面倒やろ?オレの方が、おおきに、や」

笑いあって、それから日誌に視線を戻したちゃんに、一歩、二歩。
距離を縮めて、そしてオレはオレの席に座る。
彼女の、隣。
定位置から眺める彼女の横顔には、前髪が影を落として。なんだか少し、遠くに見えた。





隣の席の特権。
こうして横顔を眺められることとか。一緒に日直になれること、だとか。

今までなんの接点もなかった、ちゃんとオレ。
でも気づけば毎日話すようになって、笑いあうようになって。
オレがちゃんをからかってみて、たまには小さな、ケンカをしたり。

あの日掴んだ、席替えのくじ。
それに大した意味なんて感じるわけもなかったけれど、こうして今、隣にあるものはとてもでかい。
でかくて、オレの全部をわしづかみにして、そして、力強く揺さぶる。


好きや。
理由なんて分からない。
理屈じゃ説明できない。
ただ、好き。どうしようもなく。


加速度的に大きくなる感情は、たまに自分にも手に負えないくらい。
授業中、ふとした瞬間に目が合ったとき、まるで金縛りにでもおうたように動けなくなる自分が不思議で、少し、怖かった。





ちゃんが走らすペン先を視線でたどる。
めちゃくちゃ綺麗、っちゅーわけやないけど、丁寧すぎるくらい、几帳面に並ぶ文字。
ちょっと前までは見分けることもできなかったけど、
今ではもう、提出されたたくさんのプリントの中からでも、ちゃんの文字を探すのはきっと簡単なこと。

「しかしちゃん、めちゃくちゃ細かく書くなあ」
「え、なにが?」
「“今日の出来事”んとこ」
「そうかな?」
「オレ前書いたとき、1行で終わったもん」
「なんて書いたの?」
「平和でした、って」

オレの言葉に、ちゃんは声を上げて笑った。前髪が、揺れる。
要点は突いとるやろ?と言ったら、「そうだね」と、また笑われた。

「なんかね、」
「うん」
「何か一つ書こう、って思うと、いろんなものがついてきちゃって、絞れないの」
「ふんふん」
「あれもこれも、って、欲張りなのかな」

ペンが止まる。
ぴったりと余白なく埋まった、“今日のできごと”。
そして、次にペン先が着地したのは、“欠席者”の欄。
さらさらと、迷うことなくそこに形づくられた文字。
オレの前の席の、爽やかサッカー少年の名前、やった。
瞬間、フラッシュバックするのは、この前の体育の後片付けの時間、屈託なくそいつに笑いかけた、ちゃんの顔。

「…そういや、風邪やって、な」
「うん。大丈夫かな?」

大丈夫やろそんなん、ってのも、心配やなー、ってのも。
どっちにしたって白々しくてわざとらしくて、どうやろな、と思うし、
だからってアイツの名前をちゃんから聞いて、心の底からまともな返事なんて、そんなのできるはずがない。
汚い、曲がった、こんな部分。
文字一つ書くにもこんなに丁寧なちゃんに、大好きなちゃんに、知られとうなかった。





「…まあ、寒くなったからなあ」





日誌を書き終えると、オレたちは身支度をした。
あとは黒板の日付を書き換えて、職員室に日誌を提出に行くだけ。
前の日直のときなんて、面倒くさくてさっさと終わらせて帰りたくて。そんだけだったなあ。
ほんのちょっとでもいいから、せめて夕日に空が染まるまで、この教室にいたいなんて、
そんなの、ちゃんが一緒じゃなきゃ、思ったりせんかったんやろな。

立ち上がって、黒板の前。
今日の日付の下に並んだ、ちゃんと、オレの名前。
一日が終わろうとする今、チョークで書かれたその頼りない文字は、ところどころが、霞んで、消えて。
なんやろな、もっと、確かに。消えないくらい、はっきりと。
君の気持ちの隣にも、オレの名前を書けたらいいのに。
隣におるのはオレなんやって、いつだってオレなんやって、刻むことができたらいいのに。

「…くん、明日日直だね。来られるかなあ?」

ぼんやりと名前を眺めるオレの肩下、黒板消しを持ったちゃんが、
オレの前の席の爽やかくんの名前を呼ぶ。
アホみたい、胸んとこ、きゅっ、となって。
ただのクラスメイトやろって頭では理解してるのに、それとは別、
勘なのか、それともただの嫉妬なのか、オレの気持ちはもやもやでいっぱいになる。

いっぱいに、なって。
無理やり笑ってみたら、鏡なんてなくても分かるくらい、びみょーな笑顔になった。

「姫条くん?」

ちゃんは、不思議そうに、オレを見上げた。
「ん?」って返事をしたつもりだったけど、こんなときでさえ、大好きなその視線に金縛りになって。
思うみたいには動かない。
身体も、気持ちも。



なあ、ちゃん。
似合わなんのは分かっとるんよ。
たまたま隣の席になっただけ。
マジメな君と、ちゃらんぽらんでどうしようもない、オレ。

窓際一番前、いつも食い入るみたいに黒板を眺めとったよね。
ちゃんと話したこともなかった。名前を呼んだことすらなかった。
でも、ずっと、知っとったよ。
考えるときに、シャープペンの端、コツコツと額に当てるクセ。
午後の授業、太陽の光に透ける髪の毛の茶色だとか、姿勢のええ、ぴんと伸びた背筋。

まだ隣の席になる前、思い出してみると浮かぶ、たくさんのちゃん。
なあ、笑うかな?
気がついたんよ、もうずっと前から、吸い寄せられるみたいに見ていた、こと。
オレとは正反対の君が、気になってしゃあなかった、こと。
こんなんオレには、似合わへん、かな?



「大丈夫?」と笑ったちゃんのつま先。
かかとに重心をずらすみたいにして、ちょこんと控えめに立ち上がる。
隣の席になって知った、たくさんのちゃんのクセ。
ちゃんの、表情。

好きや。
どうしようもないくらい。

金縛りのオレの体が、ふわり、と動いた。
触れた感触は、あまりにも甘く、柔らかで。
もしかしたらオレの金縛りは、思い通りに動かないんじゃなくて。
気持ちどおりにしか、動かない、のかもしれん。

眼前の前髪が、赤茶色に透ける。
迫っていた夕日はもう、ここに、来ていた。

「姫条く…」

気がつけば、君の隣、オレの名前を刻むみたいに。



キスを、していた。






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