なんでも聞きたいと思った。受け入れられると思った。
ずっと控えめなあいつが頼ってくれたときには、そのときは。
今度はオレが、笑って頷こうと思っていた。

でも。
まさか、こんな。
こんなのって、ありなのか?






【それだけは頷けない】






わずかな、でも、確かに形になった不安を抱えたまま、クリスマスまでの毎日は穏やかに過ぎていく。
日に日に寒さは増すけれど、オレたちの周りの空気は何も変わらない。
はたから見ればきっと、初めて一緒にクリスマスを迎える初々しいカップルで、
ちょっと浮かれて見えたりするんだろう。


そう、例えばこんなやりとり。


「明日の放課後、空いてないか?」
「え?」
「クリスマスケーキ、注文しに行こうかと思ってたんだけど」

鉢植えの手入れをするに、肥料を渡すついで、店長の目を見計らって話しかけた。
はばたき駅の裏、美味いタルトケーキの店がある。
アンネリーの常連のお客さんから聞いて、思い浮かんだのはのことだった。

「たしか好きだよな、タルト」
「…あ、はい」
「なんだよ、どした?」

ぼーっとするに、笑いかけて。
すると、やっぱり笑顔が返ってきて。
どうしてだろうな、確かに幸せなやりとりのはずなのに、膨らむのは不安。

いつから。
いつからそんなふうに笑うようになったっけ?
頬を緩ませる直前のほんの一瞬、何かを考えるみたいに口の端を結ぶ、その仕草。
一体何を、考えてるんだ?

「好きです、タルト。放課後、いいですよ」

違和感はあるのに、言葉にはできない。
それはもしかしたら、その向こう側になにがあるのか、予感、が、あったからなのかもしれない。
繋ぎとめるみたいに笑う自分は、すこし惨めで、滑稽だ。






バイトが終わって、2人でオレの車に乗り込む。
日が落ちてからの数時間で、窓には霜が降りていた。
エンジンをかけて、暖房を入れる。
冷え切った車内、吹き込んだ風もまた冷ややかだった。

「ごめんな、ボロ車だから、暖まるまで時間かかるんだよ」

言いながら、自分の両手にはあっと息を吹きかける。
隣にちらりと視線を向ければ、オレと同じように指先を暖めるその仕草。
「大丈夫ですよ」と呟くその鼻先は赤い。

「霜溶けるまでちょっと待ってな」
「はい」

大袈裟に音を立てながら、ちっとも温まる気配のない暖房に苦笑して。
そして、巻いていたマフラーを、の膝にかけた。



「というか、さ」
「はい?」
「…なんか、当然のようにクリスマス、とか言ってたけど、オレ。は3連休、どっかは暇あるんだよな」
「はい。24日は空けておきました」
「…そっか。良かった」

ハンドルにもたれかかる。
霜はまだ、視界をふさいでいる。

「欲しいもん、なんか思いついた?」
「いえ、まだ…。先輩は?」
「オレ?ん、まあ、思いついたっつーか、なんつーか」
「え、なんですか?」
「んー…ちょい待って。まだ保留」
「なんでですか」

会話は長くは続かない。それはいつものこと。
オレが話をふって、が答えて。
オレが「そうか」って笑って、も笑って。
訪れるのは、沈黙。

「先輩」
「ん?」
「教えてくださいよ、欲しいもの」
「え?そうだなー」
「そんなに難しいものなんですか?高い、とか?」
「や、そうじゃないけど。なんかベタすぎて言いずらい、っつーか」
「気にしなくていいのに。なんですか?うーん、指輪、とか?」
「そういうんじゃなくて」
「なんだろ…クリスマスの定番なんですよね。時計、とか?」
「違う違う」
「えー…」

なんだろう、と首を捻るその横顔を見ていると。
オレの視線に気がついたが、オレを見て、「教えてくださいよ」と苦笑した。
困ったようなその顔でさえ、オレの鼓動を早くするには十分すぎる。



そんな顔に、思う。
欲しいものは、いつだって目の前に。
気づいてるのか?
その距離をゼロにしたくて、近づきたくて。
もう何度も引き寄せようとして、ぎりぎり、触れる直前で止まってきたこと。

肩下に揺れる、の髪の毛が視界に入る。
ゆっくり、ゆっくりと、手を伸ばした。
埋まっていく、オレたちの間隔。

いつだって、笑って認めてくれた。
不安があっても、言葉にはしたくない予感を抱えていても。
やっぱり、どうしようもなく。
好きだ。欲しいのは、一つ。



「待っ……」



触れる寸前、確かな力を感じた。
動きを止める。
目の前には、うつむいたのつむじ。
わずかに距離を空けてその顔を覗き込めば、辛そうに方向が変わる、視線。

「…なんで?」

そらされたその横顔は、やっぱり少し大人びて見えて。
出会った頃と、変わらない。変わらない部分も確かにあるのに。
どうしてだろう、オレは、欲張りになる。
自分でも、信じられないスピードで。

「せんぱ…ごめんなさい」

暖房の音が、やけに耳に付く。
ちっとも温まらないそれは、寒さを強調するように、オレの頬を容赦なく掠めた。
の声が、遠い。



「…明日、会えないです。今日も、一人で帰ります…」



なんで、どうして。
混乱するのは思考の表面。
奥の方、分かっていたじゃないか、と、出てきたのは凍るような寒さ。

キスを拒まれた。
拒まれるような気がしていたから、今までずっと、踏み出せずにいた。
予感は確信に変わる。
は、どうしてオレと?

「…、待って」

一人にして、と、苦しげに向けられた背中に、もう一度だけ、と手を伸ばす。
なんでだろう、何かを望まれたときには、そのときにはオレが笑って頷こうって。
思っていたのに、例えばそれが別れなんだとしたら、オレはどうしたって。
どうしたって、それだけは頷けない。

「ごめん…何にも、しねえから。明日も、いいから」
「……」
「暗いから、送らせて。それだけは、頼む」
「……」
「一人で帰すのだけはできねえわ。ごめん」

こんなときでさえ頷いてくれる彼女の顔に、なにかが光る。
見て、見ぬふりをした。
涙だった、から。





ワイパーを動かすと、途切れ途切れに見える窓の向こう側。
葉を落とした木々が、寒そうに立っている。
冬の夜は、こんなにも冷たく、暗い。

あと少しだけ、もう少しだけ。
どうか、傍に。

言わなきゃいけないことは分かってる。
必ず言うから、だから、ほんの少しの時間を。



星ひとつ見えない曇った夜空に、願い事を一つ。
もう一度だけ、笑って。
こんなにもずるいオレの願いは、きっと、届かない。






NEXT>






>TEXT MENU
>企画TOP
>Back to HOME