望むものが大きすぎた?とか。
たくさんを求めすぎた?欲張りすぎた?
気持ちが、重すぎた?
考えたって、答えなんて出るはずはない。
分かっているのは、ただ一つ。
を、困らせた。それだけ。
オレは、どうしたかった?
困らせて、傷つけて、追い詰めて。
オレがしたかったのは、こんなこと?
そんなの、問うまでもない。違う。
だって、はじまりからずっと、変わらないことがある。
笑って頷くが、大好きなんだ。
だから、もう一度。
【もう一度】
玄関の鍵を空けて、寒さから逃げるように部屋に入った。
築数十年のオレのアパートの扉は立て付けが悪く、閉める直前、ぎいっと音を出す。
その上、なんとなく閉まりも悪いから、玄関先でマフラーを外していると足元に冷たい風が吹き込んだ。
今日はクリスマス。
天気予報によれば、夜からは雪がちらつくらしい。
ホワイトクリスマス、なんて、よく言ったもんだ。
隙間風の冷たいボロいアパート、そこに一人で暮らすむさくるしい男子大学生にとっては、ロマンチックでも、綺麗でも素敵でもなんでもない。
寒さと空しさに拍車がかかるだけ。
靴を脱ぎ散らかして台所に向かう。
持って帰ってきたケーキの箱は、ここにある冷蔵庫には少し大きかったから、中の仕切りを一つ外した。
それでもぎちぎちで、スペースはなくなっちまったけど、他には何も入れる予定はなかったから困らなかった。
コートは着たまま、ストーブに火をつける。
ちりっと小さな音がして芯は燃え始めたけれど、全体が赤くなるまでにはしばらく時間がかかりそうだった。
せかしても仕方ないから、オレはそのまま、畳にあぐらをかいた。
(…は今、何してんのかな)
泣かせてしまったを、送っていったあの日。
何を言ったらいいのか分からなくて、触れる事なんて、もちろんできなくて。
“…ごめんな。気をつけて家入れよ”
最後に交わした言葉。
小さく頷いたはいつも以上に小さく、とても小さく、見えた。
あの日から、何度も何度も繰り返す。
携帯のメール作成画面、あて先にの名前を入れて、本文入力画面を表示して、
そこに、ごめん、とたった3文字。
でも、その後に言葉を続けることが出来なくて、クリアボタンを一押しする。
迷いに、ため息がこぼれた。
何でもいい、何でもいいから、とにかく途切れないように。
これ以上間を空けてしまわないように、と急かす一方、でも、待ってみるべきじゃないか、と二つの思考が葛藤する。
履歴をたどれば、いつでもオレから。
下らないメールも、休みの日の約束も発信は全部オレからで、しつこかったかな、とか、追い詰めてたんじゃないか、とか。
今度ばかりはぐっと堪えて、待つのが優しさなんじゃないか、なんて、
本当は返信が来なかったらどうしようって、ただ怖いだけなのに、もっともらしい理由にすがってみたり、した。
「24日、か…」
時間の流れは恐ろしく遅く、でも、残酷なまでに単調に。
約束の日はもう、ここまで来てしまった。
オレは今日、と会えるのだろうか。
言葉を、交わせるのか?
分からない。
待ち合わせの場所も時間も、結局何も決めていなかったから、どうしようもなくオレは自分の部屋の中。
ここにあるのは、迷った挙句、一人で予約しに行ったイチゴタルトのケーキと、
実はもう、1週間以上前から準備していた、プレゼントのシルバーのピアス。
いつだったか、バイトの帰りに寄り道した雑貨屋でが買ったペアのマグカップと、そして。
そして、あの日の映画のパンフレット。
狭い部屋の中、座ったまま本棚に手を伸ばす。
パンフレットを開くと、よみがえるいくつものシーン。
大した映画じゃなかったのに。
こうして見ると、まるでものすごく面白い映画だったかのように感じるのはどうしてだろう?
今まで見たどんな映画よりもよかったんじゃないかなんて、そう思ってしまうのは、なんでだ?
オレは馬鹿だ。そんなの、問わずとも分かってる。
(そうだ、そんなの、)
そんなの。
決まってるだろ?
隣でが、笑ってたからだ。
自嘲するみたいに、口の端を上げる。
似合わない、こんなの。
忘れられないだなんて、諦められないだなんて、そんなのずっと、オレには縁のない話だと思ってたじゃないか。
大恋愛、だなんてそんなの。
それこそ映画の中、二枚目でキザな奴がすることじゃないのか?
オレは初めて。
切なさに息苦しさを感じて、そのまま、目を閉じた。
―― 一面の桃色。
頬をなでる暖かい風、振り向く、微笑み。
霞がかったような、はかないその笑顔が、オレを見る。
まっすぐに。
そして少し照れたように小首をかしげて、頷く。
笑って、頷く。
なんだろう、これは。
指先に触れる、幼い体温。湿り気を帯びた手のひら。
知っている、確かに。
オレは前に一度、この手に触れて、そして感じたはずだ。
好きだ、と、感じたはずだ。
幸せの残像。
手繰り寄せたら、どこにたどり着く?
この、春風のように穏やかな、暖かな温度のたどり着く先は…?
(…あと少し、っ)
手を伸ばした――ところで、目が覚めた。
視界の先には、真っ赤に光るストーブ。
足先が熱い。もがいたら、ぶつかった。コタツの中だった。
「あー…あのまま、寝て…」
声を出すと、乾いた喉に呼吸が張り付いたから、起き上がった。
台所まで数歩、コップに半分、水を注ぐ。
そして、飲み干した。
(夢、だよなあ…)
まるで、たった今まで、ここにがいたような感覚に苦しくなる。
耳鳴りと、軽い頭痛。
振り切りたくて首をぽきぽきと鳴らしたら、オレの背中のほう、ぼっと音がして、焦げ臭い匂いが立ち上る。
消えていく赤。
切れた石油に、ストーブの火が、消えた。
(夢、なんだよな…)
電気をつけると、明るさが目に染みた。
部屋を見渡しても、変わるものなんて一つもない。
オレの名残を残して持ち上がっているコタツ布団も、その脇の開いたままのパンフレットも。
ダメだろうと知りつつも、携帯電話を開いてみる。
そこにはただ刻々と、時間を刻むデジタル表示。
時間は、8時半すぎ。もう数時間で、今日が終わる。
「そういえば、雪、」
降ったのか?
確認ついで、灯油缶をストーブから引き抜いて、サンダルに足を入れる。
やっぱりぎいっと音を立てた玄関の扉の先。
もう真っ黒な空を見上げると、細かな白がちらちらと舞っていた。
も今、この空を見上げたりしてんのかな。
オレのこと、ちょっとは考えたりすんのかな…。
「まさき、先輩」
どこからともなく、聞こえた声。
ふわふわと、まるで雪みたいに漂ったそれは、空耳、そのもので。
オレも相当やばいもんだ、と、苦笑して玄関の扉に手をかける。
この寒さ、石油を入れるにも上に何か着てこよう、と、中に入りかけた。
そのとき、だった。
「真咲先輩…!」
腕に感じた、手のひらの力。
気のせいなんかじゃないその感覚に、振り返る。
ああ、これは夢じゃない。
夢なんかじゃなくて、オレの、目の前には、
「…?」
名前を呼ぶ。
するともう一度「先輩」と呼び返される。
君が、いた。
「何やってんだ!」
きっと数秒だったと思う。目が合ったまま、時間は止まって。
次第に、オレの腕になじんできた温度。
の手のひらの、異様なまでの冷たさ。
「おま、いつからここいた?!」
「え、と、夕方に家出て、ちょっとふらふらして、それから――」
「夕方?!」
焦りに、思わず怒鳴り声を上げる。じゃあ、もう何時間も前じゃねえか。
言えばは、罰が悪そうに笑った。
ちょっと上がったの真っ赤な頬を、オレは思わず両手で挟む。
「…にやってんだ、ほんとに。チャイム付いてんだろ、なんで鳴らさなかった?」
「壊れてましたよ」
「は?」
「ほら」
かち、かち、と。
の小さな指が、オレの部屋の呼び鈴を空振りする。
「ノックでもなんでも、あっただろ」
「したけど、出てこないし」
「携帯鳴らすとか」
「それもしましたよ?でも、先輩出なくて、」
「なんでこんなとこで待ってんだよ。中にいんだから、もっとしつこくすりゃオレだって気づくし、」
「だって、暗かったから、まさか中にいるなんて――」
「大体、なんでずっと待ってんだよ」
「だって」
「帰って出直すとか、近くの喫茶店で時間つぶすとか」
「だって、」
「こんな寒いとこで、おまえ」
風邪でも引いたらどうすんだ、と、まくし立てたら、オレを、とがめるように。
がぐっと、オレの腕を掴んで、身を乗り出した。
「だって!」
だって。
「だって、どうしても会いたかった…!」
会いたかったの、と、2回目、確認するみたいに、かすかに呟いた言葉とともに。
の目から、涙が落ちる。
その一粒に、オレは我に返って。
とりあえず中入れ、と、玄関の扉を大きく開けた。
「とりあえず、コタツ入ってろ。今、石油入れてくるから」
「…はい」
「寒くねえ?」
「大丈夫、です」
すん、と、鼻を鳴らしたに、玄関先にかけておいたコートをかぶせた。
「これ、着とけ」と、オレは、階下に灯油缶を持って走った。
もう一度、今度は少し薄い焦げ臭さを残してストーブに火がつく。
さっきの名残、全部が赤くなるまで、大した時間はかからなそうだ。
やかんに水を入れて火にかける。
コンロのつまみを調節して、それからコタツへ向かった。
「で、」
の右隣。
45度の位置にオレは腰を下ろす。
「どうして、来てくれたんだ?」
オレが聞けば、は気まずそうに視線を外す。
少し悩むような素振りを見せてから、小さく、口を開いた。
「だって、約束してたから」
「うん」
「でも、場所も時間も分からないから、ここにくれば先輩に会えるかな、って」
「そっか」
でも。
「でもー、さ。この前、オレ、あんなことしちまって、もう会ってくれねえのかと思ってたんだけど」
「そんな、違います!」
「嫌われたんじゃねえの?」
「まさか、」
「まさか?」
食い入るように、は一度、オレの目を見て、そしてすぐに。
やっぱり下に、ずらした。
「嫌いになんて、ならないです」
そっか、とオレがつぶやいたのを境に、やっぱり続かない会話。
生まれた隙間に、台所のやかんが音を立てた。
「あ、私やりま――」
「いいから。暖まってろ。で、」
で、と。
今度は立ち上がって、やっぱりオレが話を始める。
「あの、さ。こんなこと聞くのも無神経なのは分かってるんですが」
「はい」
「じゃあ、なんで、この前あんなこと言った?」
「え?」
「一人で帰る、なんて」
「それは…あの、」
「うん」
「どうしていいか、分からなくて」
いやだったんじゃねえの?
「何が、ですか?」
「その、キスが」
「…いや、っていうか、その、突然で」
「ずっと、無理してたんじゃねえの?」
「え、何が…」
「オレがおまえを好き、って、だから、おまえ断れなくて」
「ち、ちが」
「だって、いっつもはいしか言わねーし、笑って、頷いてくれるばっかりで、だからオレ」
「だから、ち、違うんです!そうじゃなく、て…!」
どん、と。
背中にぶつかった、何か。
柔らかな、その感触に、全身がどくり、と脈を打った。
信じられない。
が。
が、から、オレに、くっついてくる、なんて。
「…?」
顔が見たいのに、動けない。
ぎゅうぎゅうとオレを締め付けるの腕。震えていた。
「わたし、はい、しかいえなくて。頷くしか、できなくて…」
「…ん」
「いつも、優しい気持ちや、好き、とか、幸せもらってばっかりで」
そんなこと。
言いかけたオレの言葉を、は首を振って止めた。
「先輩が、優しくしてくれるたびに、笑ってくれる、たびに」
「うん」
「言わなきゃって、言いたいって、思って、でも、どきどきして…いえなくて」
言葉とともに、緩んできた腕の力に、オレはやっと、振り返る。
腕を伸ばせばもう、はこんなにも近く。
震えながら、懸命に、オレを見て、いた。
「なあ、」
「は、はい?」
「もう一度――」
「え?」
もう一度。
「オレが言うから、もう一度、頷いてくれねえか?」
「…はい」
息を、吸い込む。
いくら伝えても、全然追いつかない気持ちを、逃がさないように。
言葉に、するために。
――好きだ。
オレの言葉に、君は笑って。
そしてはじまりのあの日のように、もう一度、頷いた。
「これだけで、十分すぎるよ。十分すぎるほど、幸せなんだよ」
雪が舞う。
きらきらと、空気の澄んだこの季節の到来を、喜ぶように。
「ホワイトクリスマス、私、初めてですー」
「そういや、珍しいな」
窓の外、眺める君に、頬を緩ませて。
冷蔵庫から取り出す、の好きなタルトケーキ。
その隣には、揃いのカップを二つ、並べて。
「あ、」
「ん?」
「あの映画のパンフだ。先輩も買ってたんですね。気に入ってたんですか?あの映画」
「…ん、まあな」
窓際で、思い出をめくるの隣、プレゼントを、柄にもなく後ろ手に隠して。
もう、寒くない。
がここにいれば、いつだって、気持ちだけはとても暖かに。
どうやって驚かそうか、と思案をめぐらすオレの肩下。
はにかんだが、そっと、口を開く。
「…真咲先輩?」
「ん?」
「大好き、です」
思わず落とした、ピアスの小箱。
驚きながら、でも、そっと目を閉じたに、触れるだけ。
キスを、した。
「…メリークリスマス」
「はい」
君が、笑って頷く。
それだけでもう、幸せは、ここに。
END
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