【やわらかな】



たくさんのペットボトルが並ぶ冷蔵ケースを前に、私は扉を開けずに隣を見上げた。

「ん? なんだよ。飲みたいの選べって」

モノトーンカラーのベースボールキャップの上から被ったフード。
サングラス。
動く度にチャリっと音を立てる重ね付けされたブレス。
いかにもイマドキなフレグランスの香り。

「うん」

彼の言葉に頷きながら冷蔵ケースに向き直ったけれど、ガラス戸に映る見慣れない姿にどうしても気を取られてしまう。
いくら変装と言ったって、コンビニでこの格好はハマり過ぎじゃないだろうか。
普段の彼と、この明らかにやんちゃな姿(平たく言うとヤンキー!)とのギャップがどうにも飲み込めない。

「いらねーの? 俺コーラ」

せっかく奢ってやるって言ってんのにと呟きながら、私の背後を通ってケースの扉に腕を伸ばした彼に思わずドキッとして、慌てて意識を目の前の飲み物に移した。

「いる! いります!」



彼と付き合うようになって数週間目の今日。
やっと合わせることができた初めての丸一日のお休みを迎えて、私は今、彼と一緒にコンビニに寄り道して、彼の部屋へ向かっている。

よく考えてみればいつもと違うのはサングラスくらいなんだけどと思いながら、コンビニの袋を持った手をポケットに引っ掛け外に出る彼を横目で見る。
でも、そのサングラスがしっくり来すぎていて、なんだかいつもの透さんじゃない、別の人に見えなくもない。

「穴あきそうなんですケド?」

コーラ味のガムをプクッと風船にさせながら、彼が私を見る。

「え、何に?」
「俺に。熱視線すぎて穴あきそ。どした?」

サングラス、と言いかけて、何でもないと言葉を引っ込める。
ヤンキーみたいだね!なんて言えば怒るだろうし、似合ってるね!も白々しい。
別人のようで変な感じがするだけなのだけれど、それを言えば変なヤツ、で終わりだ。

「オイ言いかけて引っ込めんな。何だよ」
「忘れた」
「はっ?」
「何言うか忘れた」

適当にごまかしてしまおうとしらばっくれると、何だよ言えよと彼が急かす。
ガムを噛みながらフザケンナと私に絡む彼を見ながら、これじゃ本当にタチの悪いヤンキーみたいだなと思わず笑いがこみ上げてくる。

「何笑ってんだよ!」

ムスッと口をへの字にして、彼が私の髪の毛をぐしゃぐしゃと乱し始めたところで、顔にポツッと何かが当たる感覚がした。
あれ?と2人で空を見上げると、途端に音を立てて水滴が落ちてくる。

「げっ、雨」

そう呟いた透さんの声を聞きながら突然の土砂降りに顔をしかめると、彼は被ったフードの下から脱いだキャップを私の頭の上にポンっと乗せた。

「走るぞ!」

言うより早く私の手を掴んで走り始めたその速度に、ゆるいキャップがふわりと浮く。
慌てて片手で抑えながら、瞬く間に水たまりが次々と現れる道を2人で急いだ。



「うげー。ビショビショ。キモチワルイ」

5分と経たずに部屋の入り口にたどり着いたけれど、あまりの雨の勢いにずぶ濡れになってしまった。
フードとサングラスを取ってふるふると首を振った彼は、ポケットから鍵を取り出し玄関を開ける。

「ちょっと待ってろ」

中に入ると、彼はそう言って部屋の中へ入っていく。
扉の外から聞こえるうるさいほどの雨音を聞きながら、彼が被せてくれたキャップを取ると、髪の毛から雫がぽたぽたと滴った。
ふと足下に視線を移すと無造作に置かれている何足かのスニーカーが目に入り、濡らさないようにと慌てて隅の方へ移動する。
外で水気を切ってきた方がいいだろうかと迷っているうちに、部屋の中からチャリチャリと足音を立てながら彼がこちらへ戻ってきた。

「ホラ、こっち来い」

手にはふかふかの真っ白なバスタオル。
それを軽く広げながら「ん」と私を呼ぶ彼の頭には紫のフェイスタオルがかかっているけれど、よく拭いていないのか毛先からは私と同じように水が滴っている。

「ありがとう」

そう言って手を伸ばす。
だけど、彼はタオルを持ったまま、「いいから来いって」と私を促した。

「でもスニーカー、濡れちゃうし」
「ンなもんすぐ乾くって。ホラ」

迷いながら彼の方へ近づくと、視界が白に覆われて頭上に柔らかなタオルの感触がした。

「透さん、自分でできるよ」

私の頭を包むように拭き始めた彼にそう伝えたのだけれど、「いーから」とのんきな調子の声が返って来た。
面倒臭がりの彼からは想像できないような柔らかな手つきが気持ちいい。
時折香るフレグランスに誘われてそっと彼を見上げた。

「ナニ?」

玄関の段差分、いつもより少し高い視線が優しく私を捉える。
思わずドキッとしたのが悔しくて「ナンデモナイ」と彼の口調を真似すると、彼は「何だソレ」と笑った。

「顔も濡れてんじゃん。拭いてやるからコッチ向け」
「化粧ぐしゃぐしゃになるから自分でやる」
「どうせもう崩れてるって」

頭を覆うその手が私の顔の角度を少し変えて固定して、タオルがそっと私の右頬に触れた。
耳元でごそごそと音を立てながら目の前を動くタオルに思わず目を閉じると、彼はタオル越しに両手で私の頭を包んだまま、動きを止めてふっと息を吐く。

「……ネコみたい。カワイイ」

ちゅ、と。
唇に柔らかいものが当たって目を開ける。

(なんて優しい顔をするんだろう)

近すぎる位置にある大好きな彼を見ながらぼんやりと考える。
いつもの、からかうような意地悪な顔は、拗ねたときの不機嫌な顔は、どこに行ったんだろう。
出会ったとき、少し打ち解けてきたとき、そして、恋人になったとき。
彼の印象は忙しくころころと変わったし、距離が近くなれば近くなるほど、たくさんの表情を見せてくれるようになった。

今日のコンビニだってそうだ。
まるで別人みたいな姿に、多分私は、少し見とれていた。
新しい彼を見るたびに、いつも苦しいほどにドキドキしてしまう。

「シャワー使えよ。服適当に貸してやる」

最後に頭をポンポンと軽くたたいて手を放すと、彼は「上がれば?」と私を中へ通してくれる。
その毛先からはまだ雫が滴っていたから、「透さん先入りなよ」と返したら「こういうのはカノジョが先なの」とさらっと言われてしまって、私はまた不覚にもドキッとしてしまった。



ワンルームの部屋のクロゼットから、黒のパーカーとジャージを出してくれた彼からそれを受け取ってシャワーを借りる。
考えてみれば当たり前のことなのだけれど、洗面台にある洗顔料も浴室にあるシャンプーやボディーソープも全部男物で、今更ながら彼の部屋に来たんだということを実感して少し顔が熱くなる。
初めての訪問でまさかシャワーを借りることになるとは思わなかったと考えながら、後に使うであろう彼のことを考えて手早くシャワーを済ませて脱衣所に出た。
体を拭いて着替えようとして、ふと手が止まる。
……幸いにも、下は無事だった。でも。

(初めての訪問で、まさかノーブラになるとは思わなかった)

色が黒であることに感謝しながら、借りたパーカーを素肌に被る。
予想以上に余った袖に気恥しい気持ちになりながらジャージを履いて鏡を見る。
そこに映るスッピンの顔にがっかりしたけれど、仕方がないと部屋に続くドアを開けた。

「お待たせ。ありがと」

被ったタオルで少し顔を隠しつつ彼を見る。
すでに着替えは済ませたようで、私と同じパーカーにジャージというラフな格好でテレビ前にあぐらをかいていた。

「暖まったかー?」

そう言いながら振返った彼の視線が私を捉えた瞬間、彼は少し目を見開いて動きを止めた。
つられて私も足を止める。何かおかしなところはあっただろうかと思わずドキリとして、そういえば変なところだらけだと益々恥ずかしくなって少し視線をずらした。

「暖まったよ。ありがとう。透さんも早く入ってきなよ」

早口になってしまった自分の口調にムズムズしながら「ドライヤー部屋で借りてていい?」とタオルに隠した口でもごもごと伝えると、彼は突然立ち上がってこちらにやってきた。
さすがに間近でこの姿とこの顔を見られるのは恥ずかしくて、慌てて体の向きを壁側に変える。

「な、何か?」

背後に迫る彼にそう伝えたのだけれど、あっという間に両腕が私に回ったと思うと体の向きを変えられて、すぐに正面からぎゅっと抱きしめられてしまった。

「……ムリ。カワイすぎ」

はあ、と。
彼の吐息が耳元に聴こえて、頭からかぶっていたはずのタオルが足元に落ちていることに気が付いた。
近い近い無理はこっち!と少し身をよじったけれど、ぎゅっと私の体を囲う彼の腕はそれを許してくれない。

「と、透さん。シャワー! シャワー行ってきなよ!」

気をそらそうと必死に声を出してみたけれど、そんな私の顔をじっと見下ろした彼はまたちゅっとキスをする。

「いい。暖まった。アツイくらい」

ヒタイをこつっとして、ふっと。
笑う顔がやっぱり優しくて、やわらかで。
息苦しさに必死で呼吸を整えながら彼のパーカーの裾をぎゅっと握ると、「それ反則」と呟いた彼は少しへの字に曲げた唇でまたキスをした。



意地悪に私をからかう視線。
拗ねたときの眉間のしわ。私を見下ろすやわらかな眼差し。
いっそアンバランスに見えるほど、ころころ変わる表情の全部が彼の一部で、だから私はひとつ残らず大好きで。

「……透さん、そろそろ離れよう?」
「ヤダ」
「私ももうヤダ」
「はっ?! なんでだよ!」
「………その、下着を、着けてなくてですね」

はじかれたように飛びのいて、途端に耳まで真っ赤になるその顔も。
知るたびにもっと、好きになる。

「バカ! そういうことは言うなっつの!」
「だって言わなきゃ離してくれないじゃん!」



END(after storyはこちら>やわらかな -after-



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